ジョグジャカルタの旅編④『Merapi山〜1』

Merapi山とは?

  • ムラピ山またはメラピ山と呼ばれています
  • 1548年から68回も噴火を繰り返し、今も一年中噴煙を上げています
  • 最近では2010年10月25日に噴火
  • 周辺の村や街に被害が出て、数百人の人が死んでいる

いざ出発!

前日の夜7時から電車に乗りジャカルタを出発、早朝にジョグジャカルタの駅に到着。

駅前のレストランで朝ご飯を食べ終えてから、そのままムラピ山に向かいます✊

ジープに乗り換え

レンタルしたジープ
1970年代の古いジープの内装

ムラピ山の近くまでは普通車で行けますが、途中からジープに乗り換える必要があります。

そこで、ジープと運転&ガイドの人をレンタルしました。

それにしても、乗り換えたジープが古い、、、。

説明では、このジープは自分の持ち物で1970年頃の年式の様で、壊れたら自分で修理していると話が。

メーターの走行距離も何十万kmにもなっていて、日本では考えられないです。

不安はありますが、このジープでムラピ山を廻ります。

噴火被害の村に到着

記憶遺産の外観

火砕流の被害にあった民家
被害を保存する施設

ここは普通の村にある、普通の民家でした。

しかし、2010年の噴火の際に、火砕流が流れ込み村は壊滅しました。

当時の状況や被害を忘れない為に、辛うじて形が残っていた民家を記憶遺産の施設として保存しています。

民家の中

火砕流で焼け焦げた机と椅子
火砕流で焼け焦げた客間の机と椅子

火砕流が村に流れ込んだ時に、家の中にあった家具類。

椅子やテーブルは焼け焦げて、炭の様な状態になっています。

地面や壁も、当時の状態のままで保存されています。

生々しい傷跡

時計は火砕流が流れ込んだ時の時間のまま止まっています。

火砕流の熱によって、形状が変形している物や、完全に溶けて形が分からない物まであります。

もし、この中に人がいたら、まさに地獄だったでしょう。

この様な爪痕を見ていたら、古代イタリアのポンペイが火砕流に飲み込まれた時も同じ様な状況だったのか?など、想像が膨らみます。

当時の写真

火砕流で死んだ牛や家屋の被害
噴火したムラピ山

写真によって、当時の様子や被害状況が分かります。

逃げる事が出来なかった家畜の牛達が被害に遭い、火砕流によって石化してしまっています。

見ているだけで、怖くなってきます。

何故かフクロウが、、、

ウインクするフクロウ

何故かフクロウがいて、特設の写真撮影コーナーがありました。

それにしても可愛い😍

さっきまで様々な被害の爪痕を見て、気分が落ち込んでいましたが、フクロウの可愛さに癒されます。

なるほど!この癒し効果が狙いなのかも。

売店ではエーデルワイスが

売店で売られているエーデルワイス

お土産が売っている売店では、ムラピ山で摘んだエーデルワイスのドライフラワーが売られています。

写真では分かりづらいですが、小さい花が束になっています。

エーデルワイス自体は可愛いらしい花ですが、全体的なデザインが独創的ですね。

売り上げは、ここの施設の運営に使われますので、エーデルワイスを買う事にしました。

値段は1000円くらいで、ちょっと高めでしたが、寄付にもなるなら少し気分がいい買い物ができました。

まとめ

火砕流についてはテレビやインターネットで見たので知っていたつもりでいました。

しかし、実際に被害があった場所に来て、被害の爪痕を目で見て、説明を聞きながら写真を見て、体感すると、当時の様子が非常に良く分かります。

テレビなどよりも、火砕流の恐ろしさが伝わり、これが「百聞は一見に如かず」だと感じました。

日本の東日本大震災もそうですが、テレビの映像や人の話を聞くよりも、当時の被害状況を実際に見る方が、自然災害の恐ろしさがより一層分かります。

そして、忘れてしまわない為にも、この様な施設は保存して維持しなければなりませんね。

次回も、ムラピ山の続きです。

ジープに乗って、オフロードを走ります。

お楽しみに〜🎵

SNSもやっているので、気軽に遊びに来て下さい^_^